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  • 2016.11.24 Thursday
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「おれたちのジャズ青春記」 を再読したら、BigBeatも・・・

 Twitter海外広告アドベンチャーレトロゲームを振り返る日記毎日ジャズ、ゲーム、アートへ マリ・ドゴン族の村へ  スペイン旅行 亀の夢の庭

先日明大前マイルスに行ったら、まだお客は居なくて、カウンターで聞いていた。
ママさんがママさん席で見ていた年賀状のようなものを見せてくれた。
開店以来の常連客で、つまり高校生時代からの常連と言うことらしい。
昨年のママさんリハビリ中に亡くなったとの事、漫画家で、毎年丁寧に描いた年賀状をもらったとの事で、懐かしんでいた。
ちょっと昔に意識が行ったのか、「私の文章を読んだことがある?」と。
「ええ。ありますよ。」
もちろん読んでいた、のだが、帰って再読してみた。
「おれたちのジャズ青春記」。



さまざまなジャズ喫茶のマスターやママさんがジャズ喫茶を開くまでの熱闘記録である。
読んでいると、ジャズファンの誰にでもある、ジャズに落ちた瞬間が鮮烈に書かれているし、そしてジャズ喫茶を開くまでに至った、経緯が楽しい。
その中で、忘れていたのだが、京都「ジェル」三原孝志氏の文章「70円を握りしめて通ったダウンビート」にビッグビートがでて来る。
ビッグビートのマスターとの会話、そしてジャズ喫茶を開きたいと向かう。
「ジェル」も木屋町辺りの「ダウンビート」も記憶に無い。
読んでいると、私よりかなり年上の感じがする、多分5-6歳は上でしょう。



伝説の京都「ビッグ・ビート」に、また、生き証人:徒歩5分圏内の方が・・

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数回前の大阪・神戸の「バンビー」の記事へ新しく「akira氏」のコメントがありました。
またもや、『伝説のビッグビート』に、スーパーな生き証人が現れました。

何がスーパーと言うと、

1)実家が徒歩5分圏内にあった。
2)高1からジャズ喫茶に通っている(私なんか、ハワイアンとか、タンゴを聴いていた)
3)週に3-4日通った
4)その日の開店から入店していた(閉店までいた可能性あり)
5)毎日の最初と最後のLPが決まっていた、と証言できる

すごいです。

以下がそのコメントです。

『京都ビックビートなつかしくて、メールします。
私、1956年生まれで実家はBBの徒歩5分圏内の所でした。
高校1年生から19才位まで、ほぼ週に3〜4日開店から入店してました。
髭マスターの完璧なレコードの取扱を何時も見てました。
私が、かよってた頃はオープンニングLPはジョーファレルのCTIの(蝋燭が中心にある)ジャケのLPでした。クローズは、いつもビリーホリデイの奇妙な果実でした。
パラゴンのやさしい響きはもちろんのですが、当時、独特のコーヒーの美味しさも忘れられないです。
自転車、学生服で、いつも行ってました。
私が聞いた話では、1階の市場の火事以降、閉店されたと聞きましたが?
LPレコードの扱い方と、ジャズのセンスを教えて頂きました。
あ〜髭マスターのコーヒーが飲みたいです。』

1956年生まれで高1と言うと、1971年のころから、1975年のころまでビッグ・ビートに通われていたのですね。
私は、1969年に大学卒業し、1970年に東京に転勤になりました。残念ながらまったく重なっていないようですね。
そう言えば、何時なくなったのだろう?

「伝説の京都ビッグビート」関連で、「パラゴン・大阪・バンビー」が登場

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知らなかったとはいえ、失礼なことに、どうやら、明らかに、大阪・神戸に展開された「Banbi バンビー(伸びるらしい)」が、日本で最初のパラゴン持ちのジャズ喫茶だった、ようです。


三宮のバンビーとの事です。
多分、ここにパラゴンが・・・。

写真は、
竹内ヒロクニ氏のブログより







「『伝説の京都ビッグ・ビートを巡る散歩ぁ戰僖薀乾鵑鯑本で最初に導入したジャズ喫茶はビッグビートかファンキーか?」の記事にコメントをつけていただいた「むかいじゅん」氏は次のように言われています。

「大阪に2件、神戸三宮に1件その内南区心斎橋店と神戸三宮店にパラゴンが有りました。お店はbanbiで経営者は乾さん。これが関西の草分けです。梅田のファンキーはオリジナルのユニットでは有りませんでした。」

バンビー+パラゴンでチェックしてみると、どうも確定的に明確な年はわからないのですが、1960年にはパラゴンが設置されていたかも知れない、という感触があります。
私たちは、1966年とか1967年とかで、京都ビッグビートと吉祥寺ファンキーで争っていましたが、ずいぶん先に、少なくとも、1965年以前にバンビーがパラゴンを聴かせていたのは確かと感じます。
これで、ファンキーの広告にあった「東京に初登場」の言葉の意味がわかりました、既に大阪にBanbiのパラゴンがあったからでしょう。
パラゴンは1958年にアメリカで発売開始され、これらは日本では未発売で、1965年から山水がJBLを輸入開始したのですが、もし、1960年にパラゴンがあったのならば、個人的に輸入されたもの、と言うことになります。この辺りは、まだ良くわかりません。

(続く)


「伝説の京都ビッグビート」について新証言が・・・・。

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岩田氏より記事にコメントありました。

『 パラゴンは1967年頃です(?)
その前は短期間JBL、又々その前はタンノイでした。
私は1966年同志社入学です。』

大筋はこれまでのタンノイからJBL(オリンパス)、そしてパラゴンへ、と合致しています。
?付ですが、1967年、という事で、
どうやらやはりファンキーには負けたようですね。


『伝説の京都ビッグビートを巡る散歩』  重箱の隅突っつき問題は?

 KENさんのお話をお聞きし、もう一度、あの「重箱の隅を突っつくような問題」=「ジャズ喫茶としてパラゴンを最初に導入したのは、ファンキーかビッグビートか?」という問題についてもある程度の絞込みが出来た気がします。
残念ながら、ビッグビートへのパラゴンの設置の日に偶然にも立ち会った奇跡的経験を持つKENさんも45年前の事とてその時期を特定する事はちょっと難しい、との事でした。
ただ、これらの情報と、ファンキーの野口伊織氏のHP「野口伊織記念館」での情報を合わせると、次のようになると思います。

    年                    ビッグビート                                ファンキー
(以下SJ=スイング・ジャーナル、SP=スピーカー)

1965    6月10日 開店 SPはタンノイ       最初のファンキーは1960年に開店

1966                                                          1966年のどこかで新規開店そして地下
                                                                   スペースにパラゴンを導入 
            1月                                                    
            2月
            3月
            4月 SJ4月号ルポ(SP=タンノイ)
            5月 SJ5月号最後の広告(SP=タンノイ)
            6月
            7月
            8月
            9月
           10月
           11月
           12月                                             広告によれば12月1日(左端上から2つ目)
                                                               パラゴンを公開すると予告している

以上でわかる事は、
1)SJ(スイングジャーナル)のビッグビートのルポ、最後の広告(5月号)ではSP(スピーカー)はタンノイであり、未だパラゴンではない。KENさんによれば、最初のタンノイからパラゴンへの移行の間には途中JBLオリンパスへの移行があり、その後パラゴンに移行している。
2)ファンキーは1966年の12月1日にパラゴンをファンキーで披露している(と考えてよい)。
3)つまり、ビッグビートが日本で最初にパラゴンを導入したジャズ喫茶になるためには、1966年6月から11月の半年間で、タンノイから、JBLオリンパスに移行し、やはり不満を感じて更にパラゴンの導入まで実行しなければならない。かなりきついスケジュールであり、普通考えるとありそうにない。

従って、どうやら、ここではやはりパラゴンを日本で最初に導入したジャズ喫茶という栄誉(?)は野口伊織氏のファンキーへ与えなければならない可能性が強い、と言わざるを得ないと思います。
もし、これを覆す事実があるとすれば、今のところ、次の場合です。
a)KENさんがパラゴン設置の日を思い出し、それが、1966年12月1日以前であった場合。
b)私自身が、最初にビッグビートに行った時が、1966年12月1日以前であった場合。(私が最初に行った時既にパラゴンであったから)

どなたかまたビッグビート関係者が現れるとうれしいのですが・・・。

<本日の最終の疑問:ファンキーの広告「12月1日に公開」とありますが、その前のフレーズ「東京に初登場」があります。東京以外では、既にあった、と思っても良いと思います。ただ、それがジャズ喫茶を想定しているのか、他の何かの機会を言っているのかはわかりません。もし、ジャズ喫茶ならば、日本最初としようとしたのに、他にもっと早い店があった、事になってしまいます。>





『伝説の京都ビッグビートを巡る散歩』  KENさんのお話(下)

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以下はこの一連のビッグビートの記事にコメントをいただいたKENさんのお話の続きです。

イラスト、写真などの追加、< >で書かれた部分は私Takashiが追加したものです。
また、3つほど前の記事、『伝説の京都ビッグビートを巡る散歩』  ビッグビートのルポが!!の最後尾のコメント欄(ここです)もご参照下さい。
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(4)ビッグビートのスピーカーの変遷

マスターは本格的なオーディオマニアだったに違いないのですが、私はその話題でマスターと言葉を交わしたことは一度もありません。オーディオはあくまでジャズを最高の環境で味わうための「手段」であり、決して「目的」ではないという思想を暗にマスターの雰囲気から感じ取っていましたから。そういう意味では、純粋に、再生された音楽を集中して聴くためだけの、まさに「純ジャズ喫茶」だったわけで、そのためには「レコード」と「再生音」には徹底的にこだわるが、単なるオーディオ談義などは無用ということだったのでしょう。

 

今や伝説と化してしまったビッグビートのパラゴンですが、開店当初からしばらくの間はタンノイのモニターレッドというユニットを国産の箱に入れたスピーカーが使われており、それがまたタンノイとは思えない闊達・歯切れのよい音で気持ちよく鳴っていました。その後JBLオリンパススS8Rが導入されましたが、すぐにJBLパラゴンに替わりました。これはマスターが追求していたジャズの音の方向性から考えると必然的な推移と帰結だったのではないかと推察しています。また、アンプもサイテーションからマランツとマッキントッシュに替わりました。

 

タンノイからオリンパスに替わった時は、中高音の緻密さとドラムの切れの良さが格段に向上し、さすがジャズはJBLと感心しました。しかし、はるかに驚いたのは、オリンパスからパラゴンに替わった時で、音の緻密さと鮮度感、衝撃音の迫力、低音の質感等、すべてが別格でした。タンノイとJBLはまったくポリシーの異なるメーカーですから違って当然ですが、オリンパスとパラゴンは同じJBL、しかもSPユニットもまったく同じなのですから不思議でした。


<ビッグビートは 小さな市場の2階にありました。この外付けの階段を上って行きました。>

(5)何故「伝説の音」なのか?

ビッグビートの音が伝説となったのは、それが単に「パラゴン」で括ることができるような音ではなく、「ビッグビートのパラゴン」の音という、まったく別次元の音だったからです。

 

そういう意味では、あの時代にビッグビートに通うことができたジャズファンは、「ビッグビートのパラゴン」の音を体験できたという点で貴重な経験をしたと言えるのではないでしょうか。オーディオマニアの中には、パラゴンの音をけなす人がいますが、気の毒なことだと思います。だって、「パラゴンが本当はどんなに凄い音を聴かせてくれるのか」を知らないのですから。

 

後にビッグビートがなくなってしまった時、その喪失感を埋めるために、しばらくの間私は散々パラゴン喫茶巡りをしましたが、少なくとも私の訪ねた範囲では、低音がかぶった冴えない音や高域がきつい音(あくまでビッグビートと比較すれば相対的にそういう傾向があるということであって、必ずしも音が悪いということを意味しない)など、別物と言ってもよい音しか聴けませんでした。

 

パラゴンは、その性能をフルに引き出すのが困難という点において、一般市販のSPの中では最右翼に位置するスピーカーですから、それも仕方がないのかもしれません。ビッグビートはそれを十分に鳴らすのに成功した数少ないジャズ喫茶なのでしょう。もっと言えば、マスターが、神がかり的にパラゴンの能力を限界以上に引き出していたジャズ喫茶だと考える方が私には納得がいきます。

 

トランペッターの近藤等則氏も当時ビッグビートの常連でしたが、その音の凄さを的確に表現した文章を何かの雑誌(雑誌名もその表現も失念、恐らくジャズ系の雑誌)に書いておられ、さすがに音楽家の視点は違うなと感心したのを記憶しています。

 

(6)「ビッグビートのパラゴン」の音

では具体的にどういう音だったのか?

 

パラゴンをけなすときに一般的によく言われるのは、「寝ぼけた音」、「ライオンが洞穴の奥で吠えているような遅い低音」、「ピアノがキャンキャン耳につく」などですが、ビッグビートの音を聴いたことのある人なら「え? どこが?」と訝しがるでしょう。骨格のしっかりした歯切れのよいベース、唸りが目の前に迫ってくるシンバル、トランジェント抜群のピアノの音等、すべてに渡って冴えわたった音でしたし、特にドラムの切れと迫力、各種楽器の音の質量感、実体感の凄さは、ビッグビート以後、私はどんな種類のスピーカーでも体験した覚えがありません。

 

オーディオにおいて一般に、「いくら特性を向上させても生の音を再現するのは不可能」と言われますが、それはそのとおりだと思います。しかし、まったく生とは違う方向性にもかかわらず、頭の中に、「生より生々しい」というイメージを植え付けるような音を出すことのできるスピーカーというのがあると思います。これはどういう音楽も万遍なく鳴らせることを前提とした万能型スピーカーでは無理で、特定のジャンルの音楽における特定のスピーカーという図式になるのですが、「ジャズにおけるパラゴン」がまさにそれです。

 

それにはパラゴンの、フロントローディングホーンと湾曲した反射板という、あの独特の形状も関係しているのではないかと思っています。その結果、ステレオ録音であろうがモノラル録音であろうが、あまり差を感じさせることなく独特の凝縮された音場を形成するのです。すなわち、現代スピーカーの持ち味である、フワッとした音場や音の前後左右の広がりとは対極に位置し、質量感と密度感に溢れた音の塊を浴びせかけてくることができるのです。

 

ということで、パラゴンは決してカッコだけ、見かけだけのスピーカーではありません。あの、見ただけでほれぼれするような形状には、スピーカーの機能という点でもしっかりした理念があり合理性があるのです。そしてそれを身をもって証明してくれたのがビッグビートなのです。


<パラゴンの姿です>

(7)ジャズにおける「ビッグビートのパラゴン」

最近、昔の名器であるハーツフィールドやパラゴンも視野に入れてJBLが本気になって作った “Project EVEREST DD66000というフラッグシップスピーカーが人気ですが、確かにあらゆる点で優秀なスピーカーだと思います。しかしジャズの再生に限って言えば、音楽の受け手にとって必須の、迫ってくる音の実体感、体で感じる音の質量感と密度感という点で、私はためらいなく「ビッグビートのパラゴン」の音に軍配を上げます。ただし、あくまで「ビッグビートの」という注釈を付けなくてはならないのですが。

 

すなわち、現代のスピーカーが得意とする全体的なフォーカスやサウンドステージの代わりに、個々の楽器の音が、生とは別の生々しさ、鮮明さで迫ってくる、その音の質量を、耳を含めた自分の体の質量で受け止めることによって、ジャズに没入せざるを得ない刺激が生み出されるのです。

 

これはライブとは方向性の異なるジャズの楽しみ方ですね。例えばあの頃、マイルスやコルトレーンのライブを聴くチャンスは滅多になかったけれど、そして彼等が死んでしまった後はそれも不可能となってしまったけれど、音を介して「マイルスやコルトレーンの演奏と自分との相互作用」が感じられるような再生ができたなら、それはジャズを楽しむ者にとって最高の贅沢でしょう。パラゴンはそれを与えてくれる能力を持っていたスピーカーであり、ビッグビートはパラゴンをその次元まで高めてくれたジャズ喫茶なのであると思っています。



<スイングジャーナルの取材におけるビッグビート内部のイラストです。この時、まだパラゴンは導入されていませんでした。>

(8)ビンテージスピーカーとしてのパラゴン

ビッグビートにパラゴンが導入された1960年代の後半は、パラゴンの全盛期であり、マスターは、その時期に、活きのよいピカピカの新品を購入したのです。しかもあっという間にそれを手なずけてしまい、魔法のような手腕で、その能力の凄さを見せつけてくれたわけです。

 

一方、今手に入るパラゴンは、ビンテージスピーカーの宿命とも言える弱点、すなわちユニットの劣化という問題を抱えており、ウーファーのエッジなども張り替えられてしまったものが多い。にもかかわらず、最近もパラゴンの人気は衰えておらず、これを置くジャズ喫茶も増えていく傾向にあります。でも、昔の基本性能さえ望めないのですから、往年のビッグビートの音を望むのは不可能です。ビッグビートの音が文字通り伝説化してしまった所以です。

 

もちろん今のパラゴンにはビンテージとしても別格の音の魅力があります。こんなに鳴らすのが難しいスピーカーと、今も必死に格闘しているパラゴンオーナーには敬意を表したいと思います。

 

(9)おわりに

昔ビッグビートに通った仲間と、何年か前、一緒に飲む機会があったのですが、「あのシンバルの音をもう一度聴いてみたい」とか「あの髭のマスターは今どうしているのだろう」という話題で盛り上がり、ビッグビートをそういう視点から懐かしく憶えているのは私だけではなかったのを知って、少々嬉しい気分になりました。

 

その後、そんなことも忘れていたのですが、ごく最近このブログを見つけ、ブログ主のTakashiさんもお仲間だったことがわかったわけです。常連は必然的に店で顔を合わせることも多く、私とTakashiさんも実はお互いに顔ぐらいは知っていたのかも知れません。でも、ひたすらジャズを聴くことだけに専念していた常連は、お互いに知り合いになる必要はなかったですね。

 

ビッグビートのあった市場は小さく、建物も頼りない造りだったので、歩くだけで床がかなり揺れました。そんな環境でどうしてあんな音が出せたのかは今でも謎です。というよりも、どんなに恵まれた環境であっても、あの音が出せれば驚異的と言わざるを得ないのですが。

 

色々な意味で桁外れだったこの店を憶えている人、そして懐かしむ人はきっと他にもいると思います。私の駄文がきっかけとなって、今や忘れ去られようとしているこの伝説のジャズ喫茶を思い出してくれる人がいるとするならば、こんなに嬉しいことはありません。

<以上>


『伝説の京都ビッグビートを巡る散歩』  KENさんのお話(上)

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以下はこの一連のビッグビートの記事にコメントをいただいたKENさんがかなり長くなったご自身のコメントをまとめられたものです。KENさんはビッグビート開店時期からの常連で、このパラゴンを設置する時にたまたま居合わせて見守ったという奇跡的な経験もお持ちです。更に、オーディ関係での造詣も深い方に見受けられ、ビッグビートのパラゴンの特異性にも言及されています。記事は、上下の2回の予定です。
尚、イラストなどの追加、< >で書かれた部分は私Takashiが追加したものです。
また、3つほど前の記事、『伝説の京都ビッグビートを巡る散歩』  ビッグビートのルポが!!の最後尾のコメント欄も(ここです)ご参照下さい。
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ビッグビートの思い出


(1)はじめに

「ビッグビート」は今から45年前に、京都の小さな市場の2階に開店し、一部に熱烈なファンを生み出しながらも、短い間に忽然と消えてしまったジャズ喫茶の名前です。「本格的硬派ジャズ喫茶」としてあらゆる意味で「別格」であったため、その名は今や伝説と化しています。

 

私はTakashiさんと同じく、かつてこの店の常連だったのですが、最近たまたまこのブログにたどり着き、図書館に通ってまでこの伝説の店の資料を発掘した記事を見て驚くとともに、そのこだわりと執念に感銘を受けました。それに伴って当時の色々な記憶がどっと蘇り、やや大げさに言うなら、私にとってビッグビートは、単なるジャズ喫茶ではなく、青春時代の思い出の1ページに記録されるべき重要な空間であったのだということを今更ながら再認識した次第です。

 

そこで、ブログ主さんのご厚意に甘えて、ビッグビートの思い出について書いてみたいと思います。なお、私のプライベートな話や、個人的な価値観に基づく記述も出てきますので、その点はご容赦をお願いします。


 


<スイングジャーナルに40年以上前に出ていたビッグビートの広告です。
少なくとも当時美しいロゴですよね。>

(2)私との接点

私は小学校の頃からクラシック音楽大好き人間で、しかもそれをよい音で聴きたいため中学の頃にはオーディオ趣味にも目覚めていたという変な子供でしたから、友人から「凝ったオーディオを鳴らす喫茶店が開店したよ」と教えてもらったときも、単なるオーディオ的興味で訪れてみただけでした。

 

しかしそれが、私がジャズにのめり込んでしまうきっかけとなってしまったのです。

 

といっても、それまでクラシック一辺倒の高校生だった私にとってジャズは、最初のうちは難解な音楽でした。にもかかわらず、その後何度も通い続け、徐々にジャズの虜となっていったのは、そのオーディオもさることながら、マスターを含めたこの店独特の雰囲気と不思議な魅力が、当時、まだよく理解しないながらも私なりに勝手に抱いていた「モダンジャズ」という前衛世界のイメージにぴったりだったからです。

 

(3)ビッグビートの魅力

では、私が惹かれたこの店の具体的な魅力とは?

 

もちろん、この店が聴かせてくれた驚嘆すべきジャズの音(これについては後述)は大きな要因ですが、音の凄さだけが突出してしまわない、硬派・ストイック系正統派ジャズ喫茶として、その音に十分見合った、首尾一貫した店の雰囲気の魅力も大きかったのです。

 

派手さや賑やかさ、また軽薄さなどとも無縁の、一本筋の通った店の内装もさることながら、自分だけの空間を身の周りにまとい、容易に人を寄せ付けないように感じられるマスターの、今で言う「軽いノリ」とは正反対で、能書きを一切たれない謎めいた寡黙さ、そして、常に一定の手順とポーズで細心の注意を払ってレコードとオーディオ機器を扱う雰囲気が、店内に独特の緊張感を生み出し、そこには「会話厳禁」とはどこにも書いていなかったけれど、おしゃべりなどとは無縁の、純粋にレコードから再現されるジャズの世界だけに浸りきることのできる場が自然と形成されていたのです。

 

この独特の魅力は、ある程度常連にならないとわからなかったと思います。だから、初めて訪れた人には、常連客の雰囲気も含め、排他的な店に映ったかも知れません。でも、決して排他的であったわけではなく、単にジャズに集中していただけなのです。また、マスターには、その日にかけるレコード・曲目の構成とその順番に関するある種のこだわりがあったようで、私も最初のうちはそれがまったくわからず、リクエストレコードがなかなかかからないため、あきらめて帰ったことも時々ありました。

 

さらに、驚異的なスピードで増えていくレコードも魅力のうちで、いち早くエアメールで取り寄せられる新発売のレコードをワクワクしながら聴いたのを憶えています。また、Candidのミンガスやローチ、セシル・テイラーなどを初めとする、当時幻の名盤とされていたレコードもどんどんそろえられていったようです。人数の限られた、しかも長時間居座るマニアックな常連客のコーヒー代だけで成り立っていたとも言える、この小さなジャズ喫茶は、高価なオーディオ機器群に加えて、この点でも謎めいていました。

<続く:次は「(4)ビッグビートのスピーカーの変遷」から>



『伝説の京都ビッグビートを巡る散歩』  生き証人現る!!

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気づいておられる方も多いと思いますが、3つほど前の記事<『伝説の京都ビッグビートを巡る散歩』  ビッグビートのルポが!
>の最後尾のコメント欄を見ていただくと、KENさんという方からビッグ・ビートについて多くのコメントを寄せていただいています。
この方はビッグ・ビート開店の頃からの、常連で、何と言う事か、パラゴンをお店に設置する時に、たまたま来店されそのまま設置に立ち会ったという、奇跡的な経験をお持ちの方です。
非常にオーディオ関係にも造詣深く、ビッグ・ビートのパラゴンの特別性に言及されています。

今後も寄稿していただけると期待しており、またコメント欄ではなく、本文の方でも、考えてゆきたいと思っています。
まずは読んで見てください。ここです。

『伝説の京都ビッグビートを巡る散歩』  ビッグビートのルポが!

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そうして、遂に発見、あのビッグビートは1965年6月10日にオープンした事がわかった。1966年4月号で、『「富田英三のジャズ喫茶漫歩
 ─廚世鵑發世鵑癲京都KYOTOの西洋的ママとひげのマスター』というジャズ喫茶巡りのルポにビッグビートが出ていたのでした、この「西洋的ママ」と言うのがシャンクレールのママさんで、「ひげのマスター」と言うのがビッグビートのマスター、斎藤宏氏(初めて名前を知った)なのです。
そしてこの中で、オープンデーが、去年の6月10日と明記されていたのです。

この記事はかなり続いていて、ここにルポされていれば良いなぁ、と思いながらチェックしていたのですが、本当にあるとは思わなかった。




これも懐かしい、「シャンクレール」。もはや顔は覚えていないが・・・。
下のイラストも、丁度同志社の前の電停(路面電車の駅)のまん前にあった。
私が生まれて初めて入ったジャズ喫茶なのである。


そして右ページが我が「ビッグビート」である。つまり、スイングジャーナル的には、京都の二大ジャズ喫茶とは「シャンクレール」と「ビッグビート」だったわけである。







ここからビッグビートが始まる。
そうなのです、スーパーができる前、今でも下町のところどころに残っていますが肉屋と魚屋と八百屋などが集まったマーケットの上に、外階段を上ってビッグビートに入るのです。



下のイラストで見ると、階段の手前で右に行くとそのままマーケットに入ります。外階段を上りながら、今日はどんなジャズが聴けるのか、とわくわくしながら登ったのです。




下がビッグビートの内部のイラストです。




かなりイメージが違います。多分、手前の左が登り階段に通じているはずで、イラストでは右奥に左側のスピーカー、そして見えないですが手前の右に右のスピーカーがあるはずですね。
私の当時では、階段を上がり、今のイラストの手前の二人の所に、あの勇壮なるJBLパラゴンが鎮座していた、と思われます。
そしてテーブルがそのパラゴンへ向かって、基本的に学校スタイルで並べられていた、と記憶しています。
うー・・・・懐かしい、45年前。

<本日の感想=まあ、ここまで来れば良いか・・・。ひげのおじさんとパラゴンの行方はわからないけれど・・・。>

『伝説の京都ビッグビートを巡る散歩』 ─ヽ店の頃を発掘

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そうして、古い順に64年、65年、66年の1-4月へとチェックして行った。

64年:
5月号にファンキーの広告あり、この辺りで開店した感じですが・・。
9月号には京都シャンクレールの広告あり、「マイルスが来店」と誇らしく広告している。 (すごい事だよね!)
65年:
4月増刊号に「ジャズ喫茶のガイド」があるが、京都では、シャンクレールのみ紹介している。
7月号:同じくシャンクレールがスピーカーとして「アルテック」を設置した、と通告している
9月号:ここで初めて「有名ジャズ喫茶ご自慢LPガイド」に「BigBeat」の名前が出てきました。しかも、「ビッグビート(大阪)」と間違っています。<スイングジャーナルへの初登場>


このようなページがあって、ジャズ喫茶が自慢のLPを紹介しています。
右上に、我が明大前マイルスが出ています。
<写真はこのページの紹介でビッグビートは出てきていません>


10月号はこの国会図書館では欠品ですが、ご紹介したように、半ページの大広告をビッグビートが出しています。<スイングジャーナルへの最初の広告>奇しくもこの号を明大前マイルスで見て、BigBeatを発見したのです=不思議な一致です=この号だけ抜け出て私に教えてくれたのかもしれない、という馬鹿げた空想
11月号では、同じく半ページの広告と、この「有名ジャズ喫茶ご自慢LPガイド」に登場し、今度はちゃんとビッグビート(京都)となっています、ご自慢は、ダラー・ブランドとオスカー・ピーターソンなどが出てきていますね。


ここで初めて、まともな形でこのページに初出演、と言うわけです。

これで1965年は終わり、次は1966年1月号ー4月号までです。

<つづく>

『伝説の京都ビッグ・ビートを巡る散歩』 А々餡饋渊餞

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文京区の図書館に無いとなると、他を探すより、国会図書館である。ここに無いはずは無い、ので、一応チェックして見る、やはりある、最後に頼るは国会図書館です。


一日限りの入館券をもらい、雑誌を扱う新館へ向かう。
寒い雨の日でした。








文京図書館にあるのは1966年5月以降なので、1966年1月号から4月号まで、と1964年と65年の2年間、を借り出した。
同じように、保管のための装丁がしてある。
<つづく>



『伝説の京都ビッグ・ビートを巡る散歩』 Α(元区図書館(一部修正)

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そうすると、1965年の10月時点では、ビッグビートのスピーカーはタンノイなので、JBLパラゴンではない。そうして、私が通い始めた1966年或いは1967年にはパラゴンになっていたので、その間の広告とか、スイング・ジャーナルの記事があれば、うまくすると何時ごろパラゴンに切り替わったかがわかるかもしれない、と考え、いつもの東京都図書館横断検索を行って見ると、やはりいつもジャズにも現代音楽にも力を入れている文京区図書館にかなり昔からのスイング・ジャーナルが確保されているようである。

文京区小石川図書館
名前からしてわかるように小石川植物園の近く、駅で言えば、茗荷谷駅徒歩10分くらい。

という事で行きました。在庫されている、小石川図書館へ(ここには珍しくLPも所蔵されている)。
図書館では大体4か月分4冊が一冊にまとめられ、しっかりした製本がされていました、2年分も借りると、台車でどっと持ってきてくれる。
ただし、判明した事は、この図書館には1966年5月号以降しかない。
66年5月号には1/5ページの広告、5月増刊号には1/4ページの広告があった。


1/5ページの広告。
基本的には同じです。
四角に囲まれたデザインは、BigBeatを表していますね。


これが5月増刊号の1/4ページの広告。
左上に、懐かしい渋谷の道玄坂の「Duet]の広告が見えます。このころ開店したのでしょうか。

それ以降66年、67年、68年、69年をチェックしたが、ビッグ・ビートは全く出現しない、広告においても、記事においても。

従って、1966年5月以降はあきらめて、それ以前のビッグビートに迫って見ようと思ったのでした。

<続く>

『伝説の京都ビッグ・ビートを巡る散歩ァ戞45年前の昔の広告を見つけた

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『ビッグ・ビート』については、もう手がかりは無いとしていたが、ある夜、明大前「マイルス」で積み重ねてあった古い「スイング・ジャーナル」をぱらぱら見ていたら、驚いた事に、あの『ビッグ・ビート』の広告が掲載されていたのでした。一瞬、目を疑ってしまった。この雑誌はずっとここにあった。
何と言う驚き!!・・・早速ママさんに断わって近くのコンビにでコピーした。



かなり大きい広告、約半ページ。
他の広告は5分の1ページとかその半分なので大きい。
imadegawa,muromachi-sagaru,kyoto <全て小文字で気取っている>
Audio Parts
 Ortofon spu-gt/e
 SME 3012
 Garrand 301
 Citation I.V.
 Tannoy Monitor 15"

Coffee & Juice つまり、アルコールは無かった。
      
特に、重大な事は、スピーカーにパラゴンではなく、「タンノイ・モニター」と書いてある事です。この時点ではJBLパラゴンではなかった。アンプ類も私の頃はマッキントッシュだった。



広告の掲載は1965年の10月号、約45年前です。
つまり、遅くともこの時点では開店していた。

何か新たな手がかりが、明大前マイルスの45年前のスイングジャーナルから出現してきた。
あの、『ビッグ・ビート』が広告を出していたのだって・・・・!?

<続く>

『伝説の京都ビッグ・ビートを巡る散歩ぁ戰僖薀乾鵑鯑本で最初に導入したジャズ喫茶はビッグビートかファンキーか?

 この問題ですが、今は亡き野口伊織氏の記念館HPを見ると、かれがファンキーを開店したのが1966年、とある。一方、私が京都の大学に入学したときが1965年で、ビッグビートに行き始めたのが、確か大学2回生のころと思う、ということは、1966年となり、同じ年となる。
ただし、私が行き始めた頃にはすでに有名ジャズ喫茶だったし、開店は数年前と思う、もし1年目ならば、開店は1965年だし、2年目ならば1964年となり(いろいろ調べたが、どうしてもビッグビートの開店の年がわからない)、ファンキーより早い。
結論は、日本で一番早くパラゴンを導入したジャズ喫茶は「ファンキー」ではなく、「ビッグ・ビート」となるのであった。
取りあえず、イーグル後藤氏の記述は誤りである、と結論しよう。

続き:古いブログから:メアリージェーン+YAMATOYA+『伝説のビッグ・ビートを巡る散歩』(3)

 

ジャズ喫茶の系譜(3):YAMATOYAのご主人に手紙を書いた:ビッグビートについて(2006年3月26日)

  • 2006.03.26 Sunday

3回前のジャズ喫茶の系譜(2)で、YAMATOYAのマスターが、自店の開店前、当時のビッグ・ビートに通っておられ、また結構ライバル視していた感じがあったので、どうしてもビッグ・ビートの閉店の顛末が知りたい私は、思い切って、かなり図々しいなぁ、と思いながら、店主の熊代忠文氏に手紙を書いてしまいました

最初はメールでも、と思っていたのですが、HPも無く、どこにも店のメール・アドレスが発見できないので、いわゆる封書の手紙を送りました。

つまり、図々しいこと、勝手なお願い、とは重々断って、「ビッグ・ビートの閉店時の顛末、マスター、パラゴンの行く末、などご存知でしたら教えていただきたい」と言う趣旨でした。

ありがたい事に、熊代さんからハガキ(写真の絵葉書=写真は裏で文章は表に書いてある)をいただけました。
しかし、残念ながら、熊代さんも、ビッグビートが何か突然の閉店だったようで、その当時ビッグ・ビートの店主にも会うことなく、消えてしまって、熊代氏自身、心に引っかかっておられる様子でした。
(尚、熊代氏はあと10年くらいはお店を頑張る、と言われていました)

ここで、ビッグ・ビートへ迫る道も途切れました。


<続く>

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